茨城県の北西部に位置する大子町。この自然豊かな町を流れる久慈川の上流地域は「奥久慈」と呼ばれ、その山あいに、知る人ぞ知るお茶の産地があります。それが、今回ご紹介する奥久慈茶です。
奥久慈茶の産地は、新潟県村上市と並んで日本最北限のお茶の産地として知られています。町全体の7割が森林という豊かな環境で育まれるこのお茶は、まさに大子町の宝であり、重要な特産品です。
奥久慈茶の歴史は古く、今からおよそ500年前、室町時代末期に遡ります。伝えられるところによると、地元の僧侶が京都から茶の種を持ち帰ったのが始まりとされています。
江戸時代には、宇治から職人を招いて茶づくりの技術を磨き上げ、その後も生産・加工技術を高め続けることで、高い品質のお茶づくりを確立してきました。その品質の高さは、明治32年(1899年)には日本を代表するお茶としてパリ万博に出展され、高い評価を受けたことからも伺えます。
そして現在も、奥久慈茶はその品質を守り続けており、国内外で数多くの賞を受賞し、高い評価を受け続けています。また、昔ながらの製法である「手もみ茶」は、今でも地元保存会によって継承されており、中には日本一になった名人も二人いるとのことです。
奥久慈茶の最大の魅力は、その「最北限」という立地にあります。 奥久慈の地域は、冬には滝が凍るほど気温が下がるほどの厳しい寒さに見舞われます。このため、新茶の時期は、九州や静岡のお茶よりもおよそ1ヶ月ほど遅くなります。
しかし、この気候こそが奥久慈茶を特別なものにしています。
奥久慈茶は、大子町にとって重要な産業であり、大切な特産品です。最北限の産地だからこそ出せる深い味わいと、小さな産地だからこそ実現できる丁寧な茶づくり。
ぜひ一度、この奥久慈の地が育んだ、最北限の「碧い雫」を味わってみてください!それはまるで、厳冬を耐え抜いた草木が春に芽吹く力強い生命力のように、奥深い旨味と香りが凝縮された一杯となるでしょう。